個展「気配、滅んでいくまで」

 

愛知県尾張旭市のGALLERY龍屋にて、個展を開催します。

愛知県でまとまった作品を展示するのは今回が初めて。どうぞよろしくお願い致します。

在廊日は決まり次第、お知らせします。

 

八太栄里個展「気配、滅んでいくまで」

2017年10月6日(金)〜10月15日(日)11:00〜19:00

会期中無休

 

GALLERY龍屋(愛知県尾張旭市柏井町公園通542)

http://www.t2y@gctv.ne.jp

 

 

ステイトメント

「気配、滅んでいくまで」
作品に出てくる少女は誰なのかよく問われる。過去の自分の分身という面もあるが、絶対にそうでないといけないこともない。
個人的な記憶をもとに、実際に自分が訪れたことのある場所を題材にするため、自分と似た姿で人物を描いているが、近頃は少女の中に自分の感情はそこまで乗りきらず、内面から離れた存在になってきている。

 

残留思念という言葉がある。人が強く何かを思った時にその場所や物に残る思考や感情といった思念のことを指す。
私が描く少女は残留思念のような存在であると思っている。過去か未来か何処か別の次元から来たように、もしくは幽体のように、実体はそこには無い。風景画を完成させてから最後に少女を付け足す描き方をしているのはそのためである。
先に述べたように少女の思念は私の個人的な感情というわけではない。残留思念というものそれ自体が少女の形をしているといったほうがしっくりくる。
少女の形をした思念は、鑑賞者と描かれた風景と記憶を結びつける架け橋のような役割を担っている。
その記憶は時には私自身であり、私以外の何者かであり、鑑賞者自身の物にもなり得る。
そのように、土地の気配や人の記憶、思念など形のないものを少女の形に代えて表現しているというのが現状だが、今後それがどのような形になっていくかはまだ分からない。
少女が主役なのではなく、あくまでその土地の色や空気の中に何かを見出すということを目的に今までも描いてきたが、いまいちど画面に現れる少女の役割と存在と今後の消息について改めて見つめなおし、形の無いものを如何に描くかを探るため、今回の展示では「気配」と「存在」というものに焦点を当てたい。

 

絵画教室アートルーブル講師展

 

職場の絵画教室の講師展を梅田で開催します。

在廊日は9月20日(木)と22日(土)。この二日間は終日、ギャラリーにいます。

是非お越しくださいませ!

 

初日と最終日はオープン時間が通常と異なりますのでご注意ください。

 

 

絵画教室アートルーブル講師展「CHRONICLE クロニクル」

9月20日(水)〜9月26日(火)10:00〜18:00

日曜休館

※初日の20日は12:00〜18:00

 最終日の26日は10:00〜17:00

 

ピアスギャラリー(大阪市北区豊崎3-19-3 ピアスタワー1F)

◇地下鉄御堂筋線「中津駅」徒歩5分

◇阪急「梅田駅」徒歩10分

 

 

個展「暮れる日」

 

京都の南山城村にあるギャラリーデンで、7月16日(日)〜29日(土)個展を開催します。
私の展示会場はAIR南山城村 青い家。
茶畑と林に囲まれてわさわさの緑色の中に青い屋根が存在感を放っています。近くに人の気配はありません。
この少し非日常な場所で視点と思考を広げたいと思います。記憶をたどる10日間のひっそりとした夏休み。
お誘い合わせのうえ、ぜひ遊びにいらしてください。

 

ギャラリーデン南山城村本館では、井上光太郎さんの個展が同時期開催されます。

駐車場、バス停は本館の前にあります。まずは本館の展示をご覧になって、青い家にお越しくださいませ。(歩いて10分ほどです)
どうぞお楽しみに。

 

 

 

 

八太栄里個展「暮れる日」
2017年7月16日(日)〜7月29日(土)
12:00〜17:00 (初日のみ12:30〜)
水・木 休廊
ギャラリーデン南山城村(京都府相楽郡南山城村高尾下廣見35)

http://galleryden-mym.com

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オープニングイベント「吊るす日」
7月16日(日)13:00〜 予約不要
場所:青い家
参加費:200円(材料費)
プラスチック板を青い家の縁側に吊るし新しい風景を見つけるワークショップを行います。

透明の板が重なった向こう側はどのように見えるでしょうか。風が吹けば涼しげな音も鳴ります。

 

 

statment

 

仏教の言葉で西方浄土というものがある。太陽が沈む西の方角に極楽浄土があるという教えだ。日本人は昔から赤く染まる西の空に手を合わせ、故人や自分の命が辿り着く先に想いを馳せた。
動植物の活動が最盛期を迎える夏。この頃の夕暮れは何故あんなにも懐かしく感じるのだろうか。ヒグラシの声に包まれながら暮れていく空を眺めていると胸に迫るものがある。
お盆、終戦記念日、死者の魂を供養するための花火大会、怪談話や肝試しのシーズンでもあるこの時期は目に見えない存在をなんとなく意識する行事が多い。蝉の一生の儚いイメージなんかも相まって、私は1年の中で最も命の終焉に対して敏感になる。

死について考えるとき、日常と切り離してはならない。誰にでも平等に死は訪れるように、日常と地続きのところにいつも存在している。
少しだけ普段と視点をずらし、思考を働かせることでものの見え方が変わってくる。終末を冷静に見つめる視点を持ち、そばに携えながら日々を暮らすのは今をより良く豊かに生きるための方法で、私は自分の作品がそのような役割を果たせるように努めたい。

南山城村「青い家」は気軽に立ち寄れる場所ではないが、行こうという意思さえあればいつでも辿り着くことができる。
今回の展示はそんな日常の延長にあるちょっとした非日常を用意し、物事の終焉や目に見えない私たちの辿り着く先について思考を傾ける場としたい。
それは「青い家」に飾られる絵だけでなく、そこに辿り着くまでの道程を含めた鑑賞者の旅が主役となる。